love-me-and-you’s blog

生きるとは?恋愛とは?自分とは?自分なりに考えた哲学的なことをつらつらと書いております。

自分の嫌なところ

自分の嫌なところを受け入れるのって難しい。

 

自分の嫌なところ

=一般的に見て人に嫌われる部分

 

人に嫌われるリスクを負っている私自身が、

正直怖い。

 

でも、それが普通なんだ。

 

誰からも好かれる人間なんていない。

1人として、いない。

 

でも私はすべての人に嫌われたくないと思う。

 

なぜこの思考になった?  

 

この思考がある限り、私は自分の嫌な部分を受け入れることはできない。

 

誰かに嫌われること、それは私にとって、

【死】に値するくらいの恐怖。

 

なぜか。

 

誰かに嫌われるということは、自分の居場所がなくなるという経験をしたから。(いじめです。)

 

小さい私は、自分を殺すことによって、自分の生きる場所を確保した。

 

自分を殺さなければ、自分責めなければ、私は生きて行けなかったのだ。

 

自分を責めることで、私の居場所は確保され、

自分を責めないでいることで(ありのままの自分でいることで)、自分の居場所を失った。

 

生きていくために、自分を殺すことは、

当時必要だったのだ。

 

でも今は?

 

そう、私は存在していいのだ。

私を生きていいんだ。

 

私を消さなくても、私は生きて行けるし、

私の居場所はある。

待っててくれる人たちが沢山いる。

 

私は存在してもいい、と、

そんな当たり前のことを、

人間として生まれ持つ権利を、

私はいつの間にか放棄していたみたい。

自分が生きるためにね?

 

いじめって本当に悲惨だな。