love-me-and-you’s blog

生きるとは?恋愛とは?自分とは?自分なりに考えた哲学的なことをつらつらと書いております。

皆が前に進めるように

心に寄り添いたい。

 

それ以外はしたくないし、

興味がない。

 

ーなぜ心に寄り添いたいのか。

 

そうしてもらうことが、

人が前に進む根源だと思うから。

 

誰かに心を受け入れてもらえたとき、

 

少しでも希望を持てないか?

 

少しでも喜びを感じないか?

 

ただでさえ辛いことの多い人生。

みんな頑張って生きている。

 

その中に、少しでも

希望と喜びを与えられる人でありたい。

 

私が欲しいのはお金じゃないんだ。

 

 

 

 

親とのこと

今までずっと、

親の負担になりたくなくて、

親に迷惑かけたくなくて、

 

自分で生きれるようになるために、

動いてきた。

 

親は私にとって、

無償の愛を与えてくれる、

とても大切な存在だったから。

その愛に支えられたし、救われたから。

 

でも、仕事もあまり稼ぎないし、

近くに住んでいてあげてるわけでもないし、

私は何も与えられない。

 

与えられない分、知らず知らずのうちに、

迷惑かけまいとして、

何でも1人で決めて、動いては挫折してきた。

 

親の愛に頼っててはダメ。

(本当は頼りたいけど)

誰かに頼っててはダメ。

(本当は頼りたいけど)

 

だって1人で生きれるようにならないと。

 

この世は最終的に1人で決めて、

生きていかなくてはいけないから。

 

1人で生きていける人が、強い人だから。

みんなそうやって生きてるから。

 

私のことで親に心配してほしくなかった。

 

 

 

 

 

でも、私なんかまだ子供で、

1人でなんて、全然生きていけなくて。

 

 

 

 

 

無力。

 

 

 

 

 

その度、弱い自分が嫌いで、

自分をけなして、責めて。

 

 

 

 

 

もちろん親は心配させるし、

でも心配かけたくなんて、

笑顔で大丈夫!とか言うし。

 

でも今回ね、また挫折した。3度目。

今後のこと、自分のこと考えた。

 

 

そして、今回は自分で決めるのではなく、

自分の不安とか、考えとか、

まとまってないけど、

口にして伝えるよう意識した。

 

弱い人と思われると思ったけど、

もうよかった。

 

でさ、今回、いろんな人に弱さを見せて、

気づいたのよ。

 

1人で生きていると決めていたのは、

私だったんだなぁって。

 

私は1人ではなかったんだなぁって。

 

私が相手を信じていなかったし、

自分のことを話すのを拒んでいた。

 

そんな私の話を、

真剣に聞いてくれるし、

励ましてくれるし。

 

 

 

 

 

なぜそこまでしてくれるの?

 

 

 

 

 

 

1人で勝手に、私は1人だと思ってた。

 

 

 

私は、何か私自身に、

鍵をかけているようだ。

 

 

仕事に向かう姿勢の先にあるもの

 

どんな仕事に就くかより、

その仕事に向かう姿勢が重要だと感じる。

 

仕事って、

いわゆる相手のことを思う作業。

 

すべての仕事がそう。

 

それぞれの職種で、

相手を思う形が違うだけ。

 

相手を思っただけ、

報酬が得られる。

 

相手のことを考えられる人、

そして、相手が望むことを提供してやれる人が

仕事ができる人だと私は思う。

 

そして、ここでもっと大事なのことは、

 

「自分を思えるようになること」。

 

自分を思えないと、

そもそも相手を思えない。

 

仕事=相手を思う行為=自分を思う行為

 

私が考える仕事の本質は、

これ。

 

分かってはいるんだがね。

 

まだまだ、動けないよ。

自分嫌いだし。

今から動けない。

変わらないことが勇気が入らないもの。

変わることは怖いもの。

でも、変わらないことで不安定になる自分がいるのは確かで、この状態でずっともがいてる。

 

そこがまだまだ若いってことなのよ。

 

場数を踏んで強くならねば。

ファイティグポーズで。

 

すごく、いま、足掻いてる。

 

 

 

心の扉を開けた時、新しい風が入ってきた

 

生まれて初めて、

知り合いに涙を見せた。

 

弱い部分を見せた。

 

そしたらね、

受け入れてくれた。

 

新しい風が私の中にすぅと、

入ってきた。

ファイティングポーズで

人に降りかかってくる試練の数は、

生まれてくる前に決められてる。

 

逃げても逃げても、

その試練を乗り越えるまで、

またやってくる。

 

試練がやってきたと思ったら、

まずは深呼吸。

 

自分の中の恐れとか、不安とか、

嫌だという気持ちがわんさか溢れてくる。

 

どうしよう。

不安だ。

私にできるかな。

失敗したらどうしようか。

嫌われちゃうかもしれない。

 

ぜーんぶそんな気持ち達のことを、

見つめてあげた後、一言いうんだ。

 

でも、

私はずっとあなた達の味方だからね?

あなた達の側にいるからね?

 

この気持ちに達するまでの時間は、

人それぞれ。

 

もしかしたらこういう気持ちまで

数秒でいける人もいれば、

数ヶ月、もしかしたら数年かかる人も

いるかもしれない。

 

でも、ここまでいかないと、

試練を乗り越えられない。

次に進めない。

 

1つも試練を乗り越えないまま、

人生を終える人もいるのかもしれない。

 

目の前にある「試練」という名のモンスター。

 

でも、

本当は自分を高めてくれる天使のような存在。

 

一呼吸したら、

ファイティングポーズで。

でも、感謝の気持ちも持って。

 

1つ1つ乗り越えて行け。

 

それが生きるということ。

 

 

たまには、ひねくれるよ

 

誰も助けてくれんし。

所詮皆、自分が可愛いし、

自分さえよければいいんや。

最後は人を裏切るんよ。

そして私は泣く。

でもこういう思いを持ってる時点で、

私も見返りを求める人間だということに気づかされる。

 

偽善なら、するなよ。自分。

でもこれも自分か。。。

 

私も、自分中心で生きていい。

 

でもそうやって生きないと決めているのは私自身であって、自分の責任感だとか、負けず嫌いだとか、優しさとか、弱さとかそういうところがあるから。

 

悔しいから自由に生きることを我慢するのよ。

負けたくないもん。

 

ー何に?

 

周りの期待に。

期待に応えたい。

 

ーなぜ期待に応える?

 

そうしないと、満足を得られなかったから。

自分で自分を満足させることを、

許してもらえなかったから。

自分自身を満足させる方法を知らない。

 

好きなことをやれというけど、

好きなことがわからない。

 

私にとって、自分の満足とは、

周りにとって、自分が迷惑にならないこと。

 

なぜなら周りに合わせないと、

自分の居場所がなかったからね。

 

ーどれだけ周りに承認を求めたってね、

ー満足する事なんてないんだよ。

ー自分が自分を認めた時に、

ー心から満足するんだ。

 

ー戦うべきは、周りではなく、

ー自分だ。

 

分かっとる。

ただ、今の私は、

自分を生きることが怖いんよ。

合わせることの方が楽なんよ。