love-me-and-you’s blog

生きるとは?恋愛とは?自分とは?自分なりに考えた哲学的なことをつらつらと書いております。

今の私

何を思ったか、過去の自分のブログを見ていて、今の私は何を書くのかなと気になって書き出した。

 

今の私は、

私をとても大切にしたいと思っている。

 

大好きだと思えない時、大切にできない時、まだまだたくさんあるけど、その中でも、私は自分が大切な存在だと、そう思うことが、大事なことだと、強く思っている。

 

私の待つ価値を知っている。

この命の価値を知っている。

 

自分の中のいろんなエゴはもちろんある。

今も変わらず、無くなることなく。

 

人を思い通りにしたいとか、愛して欲しいとか、面倒臭いとか、いい人に思われたいとか、

相手を卑下したりとか、敬って欲しいとか、

私のせいじゃないよなんて、責任感がなかったり。

 

それは過去の何か原因があって、そういうエゴを持つようになったのかもしれない。

 

だけど、私はまさに、

「その通りの人間なんだ。」

 

人をコントロールしたくて。尊敬されたくて。褒められたくて。愛されたくて、人を差別して上から目線で。薄っぺらい愛を持っていて。責任を持ちたくなくて。

 

それが私なんです。

 

それは疑いようのない事実。

人に嫌われる要素を持つ自分が嫌いだった。

だけど、その要素も大切にすべき私だった。

それを東京で学んだ。

 

人には皆、闇と光がある。私も同様。

闇とは、絶対にみんなから嫌われるところ。汚い考え。道徳に反すること。

 

それは持ってはいけないと、皆、育てられる。

それは「改善」「克服」「手放す」ものである、と。

 

でも闇がない人なんて絶対にいないんだよ。

 

闇と光。

私は闇を、今は受け入れられている。

闇は悪いものではないと、思えている。

闇はどんどんでてくる。

その時は苦しいけど、

でも、私はそんな闇を持っているはずはない!誰かが、何かが原因で、そんな闇を持ったんだ!なんて、他の人のせいにしたら、抗おうとするから苦しいのであって。

 

闇は、確かに、闇なのだ。

私は闇を持つのだ。

 

前世が天使だろうと、精霊だろうと、宇宙人だろうと、人間である限り、みんな闇は持っている。

 

闇を持つ自分。生きる価値がないほど、非情で冷酷で、超傲慢で、でも、か弱くて。

でもそれでも、生かされている。

 

そこに感謝するということを、

今の私は行なっている。

 

そして、私は幸せになる価値があると、笑顔で過ごす価値があると、そういうことを最近許可し始めている。

 

私はそういう道の中にいると、思っている。

 

どうかな?

だいぶ、成長したかな?笑

 

 

何を信じればいいのか

 

この間の宇宙の人、アムウェイやった。

 

このやろぅ。ふざけるなよ。

本当に笑い話になったよ。笑

 

人に嫌われるリスクは、私にとって「死」。

アムウェイなんて出来るわけないでしょ。別にアムウェイ製品が嫌いなわけではないけど、そのやり方が気にくわない。

 

アムウェイしてるなら初めから「アムウェイしてます」って言ってよ。私は、あ、そうなのねって受け入れるから。

 

自分たちのやってることに意味があると思うなら、そこに自信があるのなら。堂々としてなさいよ。アムウェイしてることを言わずコソコソ裏で動かれたのが私は気にくわないの。

 

私を救おうとしてくれていた、夢を叶えようとしてくれていたのは分かるし、その心はすごく美しく真っ直ぐなものだと思う。

 

アムウェイで手にするものは心の自由?

アムウェイで手にするものはアムウェイの製品と、アムウェイの仲間だけでしょ。全く自由じゃない。

 

本当に相手を救いたいと思うのなら、私はアムウェイに入れるのではなく、もっと別の方法で相手に寄り添いたい。その方が美しいと、私は感じる。

 

アムウェイは私にとっては相容れない思想だから、アムウェイしてる人とは関係を切る。

 

何で私はあんなのにワクワクしたんだよ。

 

自分が信じられない。

 

 

宇宙に出会ってしまった

やばいやばいやばいやばい。

 

出会ってしまった!

どうしよう!

 

宇宙に出会ってしまった!

 

この巡り合わせを掴むかどうかは自分次第。

 

不安になれば、そりゃ楽だ。

だけど、いったい何度その不安を恨んだ?

 

逃げてはそこにあるものを恨み、

逃げては恨み。

 

期待はされても、自分で自分を蔑んだ。

自分の価値を自分で下げて、

そんな自分が嫌いになって。

 

 

手は差し伸べられている。

 

なんだこの気持ちは。

嬉々か、感嘆か、畏怖か。

 

 

心臓がばくばくする。

 

 

掴むか、離すか。

どちらかだ。

 

あぁ。

本当に感謝だよ。

 

この前の満月の夜、ムーンウォーターに願いを込め、真っ暗闇の中飲み干した。

 

その道が動き始めたんだ。

とうとう始まるんだ。

 

怖いね、辛い道もあるだろう。

 

でも、ワクワクするんだよ。

この感覚は、運命の人に出会った感覚と同じだ。

 

知らない世界に。

答えは知らない世界が教えてくれる。

 

 

こりゃ大変

誰かと結婚ができればいいなんて、

 

そんな単純な女だと思ってなかったけど、

そんな単純な女だった。

 

甘えることができて、守ってもらえて、

引っ張ってもらって、経済的にも助けてもらって。

 

安売りはするな。

と言われた。

私は安い女だったの!?

びっくり。

そして私はそんな女じゃない!!

とエゴの声。

うんうん、と受け入れる。

 

でも本当のこと言われたから、今、悲しいんだろうし、相手に対してこのヤローと思うんだろうし。

 

どこかで、ありのままの私を愛してよ。

っという自分もいたのも事実。

結婚する為のスキルはすっからかん。

 

バーゲンセールだとかも言われたな〜笑

 

もともと綺麗なものたくさん持っているのに、

見た目の偏差値はゼロに近い。

 

ブランドにする。

そして私はまだ自分の良さに気づいていないんだって。

 

どうすればいいいいんだろうなー。

自分を綺麗にするって、どういうこと?

 

私はそんな女になれるの?

ブランドとか着れるの?

 

自分を磨くって?

自分の嫌なところ

自分の嫌なところを受け入れるのって難しい。

 

自分の嫌なところ

=一般的に見て人に嫌われる部分

 

人に嫌われるリスクを負っている私自身が、

正直怖い。

 

でも、それが普通なんだ。

 

誰からも好かれる人間なんていない。

1人として、いない。

 

でも私はすべての人に嫌われたくないと思う。

 

なぜこの思考になった?  

 

この思考がある限り、私は自分の嫌な部分を受け入れることはできない。

 

誰かに嫌われること、それは私にとって、

【死】に値するくらいの恐怖。

 

なぜか。

 

誰かに嫌われるということは、自分の居場所がなくなるという経験をしたから。(いじめです。)

 

小さい私は、自分を殺すことによって、自分の生きる場所を確保した。

 

自分を殺さなければ、自分責めなければ、私は生きて行けなかったのだ。

 

自分を責めることで、私の居場所は確保され、

自分を責めないでいることで(ありのままの自分でいることで)、自分の居場所を失った。

 

生きていくために、自分を殺すことは、

当時必要だったのだ。

 

でも今は?

 

そう、私は存在していいのだ。

私を生きていいんだ。

 

私を消さなくても、私は生きて行けるし、

私の居場所はある。

待っててくれる人たちが沢山いる。

 

私は存在してもいい、と、

そんな当たり前のことを、

人間として生まれ持つ権利を、

私はいつの間にか放棄していたみたい。

自分が生きるためにね?

 

いじめって本当に悲惨だな。

反省

私は、人を見下していた。

 

私は特別だと、他の人とは違うと、

そう思っていた自分がいることに気づいて、

そのことにショックを受けた。

 

知らないうちに、人を好き嫌いで判断して、

私が救ってやる、なんて、相当上から目線。

 

今、そんな自分を今感じていることが嫌だし、

目を背けたいけど、背けてはいけない気がする。

 

これは私の根本的な性質だし、こう思うのは幼少期の周りの環境のせいでもない。

 

これら私の魂の性格。

 

こんな自分と付き合っていくしかない。

どうすれば良いのだろう。

 

私はどうしたいか。

認めたくないが、認めるしかない。

そんな嫌な性格を殺したいが、それではダメで、受け入れなくてはいけない。

 

すごく苦しいぞ。何でだろう。

 

 

解放

仕事終えて、2日たった今。

 

もう2度と、やりたくないことはしない!

もう2度と、会社員にはならない!

 

今離れてやっとわかる。

自分がどれだけ我慢して、

やりたくないことしてたのかが。

 

 

でも、今までの時期も

必要だったと思うのよ。

 

 

今こうして、気づくために。

 

 

 

今は心がキラキラ、ワクワク、

ニコニコしてる。

 

 

いっぱい空気を吸っている!

 

 

 

次はもう自分が楽しいと思える方に向かう。

妥協はしない。

 

 

 

周りがどんなに幸せそうにしてたってね、

人間的にできていて、

しっかり仕事して生きてたってね、

 

 

 

私はそんな生き方出来ないんだよ。

 

 

 

だって、私はあの人たちではないのだから。

 

 

でも、人を気遣うという心は持ってる。

 

 

相手の考えていること、相手の気持ちが分かるという、少し第六感的なのも持ってる。

 

 

私はどんな人間でありたいか。

 

 

 

今ここから、向かっていける。

 

 

 

誰かに好かれようとか、

もう面倒くさい。

 

 

 

私がやりたいようにする。